このリーフレットは、駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)の2023年度ジュニアスタッフ・プロジェクト(学部生プロジェクト)で、学部生スタッフの企画・立案により制作されました。2023年12月には読書会「スポーツの性別二元論を考える」を開催。その後、近代スポーツの成り立ち、スポーツと女性、スポーツと公平性に焦点を当て、資料収集と研究、編集作業を重ねてきました。
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D&Iから考えるスポーツと東大
【作成】
ささかわ(東京大学教養学部・KOSS 2023年度ジュニアスタッフ)
すみか(東京大学教養学部・KOSS 2023年度ジュニアスタッフ)
【監修】
清宮優衣(東京大学大学院総合文化研究科修士課程・KOSS 2023年度院生マネージャー)
【公開】
2024年4月6日(ウェブ公開:2024年6月17日)
体育が必修なのは当たり前?
男子が女子よりスポーツができるから男女分けは必要?
スポ身や部活・サークルでもやもやしているのは自分だけ?
東大におけるスポーツについて考えます。
目次
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このプロジェクトの目標
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東大におけるスポーツを再考する①
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近代スポーツの成り立ち
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スポーツと女性
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スポーツと公平性
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具体的な問題
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東大におけるスポーツを再考する②
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リソース集
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KOSSについて
はじめに
このプロジェクトの目標
ジュニアスタッフプロジェクトは、学部学生が、ダイバーシティ・イシューを理解し社会における多様性の問題に取り組むための知識と実践経験を身につけることを目的としています。
2022年度の活動:翻訳、ワークショップ、イベント
2023年度の活動:スポーツについて考えるイベントの実施・冊子の作成
東京大学において、体育の授業は必修ですが、そのあり方に疑問を感じたり、苦しい思いをしたりする学生がいます。体育やスポーツのあり方は、当たり前のように受け止められていますが、本当にそれでよいのでしょうか? スポーツの歴史や、様々な人の意見をまとめることで、東大のスポーツが よりよく変わっていくための手助けをしたいという思いでこの冊子を作成しました。
東大におけるスポーツを再考する①
東大では、「身体運動・健康科学実習」という名称(通称スポ身)で、体育の授業が開講され、必修とされている。戦後新制大学の発足と共に、東大では 2年次まで体育の実技が必修とされていたが、1993年のカリキュラム改訂で、実技の必修は1年までで、2年以降は選択制となった。この授業の目的は、シラバスには、下記の4点が記されている。
1. 身体および身体運動に関する知識の習得
2. 事物の本質的理解(肌でわかる体感する)のための基礎技術の習得
3. 自己の身体の管理操作技能の習得
4. 心身の健康教育運動習慣の基礎作り
東大が、スポーツをどのようなものとして捉えているのか、上記の授業目的にはどのような意図があるのかを、スポ身の授業で教科書として使用されている『身体運動・健康科学ベーシック』から読み解いていきたい。まずスポーツについてだが、第1章1節「身体運動の意味と意義」を読むと、身体面と精神面でのプラスの効果と学習・記憶能力といった勉学上の効果が述べられている(p4)。また、スポーツの歴史の総括として、スポーツは本質的に遊びや気晴らしのために行われるもの、身体文化であると書かれている(p5)。
次にスポ身の授業目標については、第1章2節「身体運動科学」に詳述されている。要約すると、基本的な身体能力は健康で文化的な生活に不可欠な、それ自体がひとつの教養である。また、自分の体の動きを知ることは、それを通じて他人の身体にも理解を深めることができるため、他人の痛みがわかる、人にやさしい社会をつくる人材づくりに欠かせないとしている。そして、大学1・2年生の時期は正しい運動習慣を身につけるのに最適であり、さらに、あらゆる分野でヒトの身体に関する知識が重要性を増していくことが予想される現代において、学問的な必要性も高い、ということであった(p7-8)。
当資料では、まず近代スポーツの成り立ちとそこに女性が参入していく過程をまとめ、スポーツにおける公平性について述べている。これらを元に、現在、東大生が東大スポーツについて抱いているもやもや、そして東大スポーツの問題点について考察した。
スポーツを考える
近代スポーツの成り立ち
1. 近代スポーツはいかにして生まれたのか
近代スポーツは、19世紀ごろまでにイギリスで制度化され、アメリカで発展したアングロサクソン的文化である。教養教育を行うパブリックスクールの改革において、実用性のない身体活動という近代スポーツの特質が「身体の教養」として捉えられ、組織化されたスポーツが短期間のうちにエリート教育へと受け入れられた(岡田 2022a)。
2. 「男らしさ」の変遷
スポーツは学校教育において、近代における未来のリーダーとしての資質を体得させる活動となり、こうした資質は「スポーツマンシップ」として「男らしさ」の主要な条件となった。これに加え、マスキュラー・クリスチャニティに影響を受け、教育において、極端にチーム・スポーツが重要視された(アスレティシズム)。
スポーツの商業化とメディアの発展により、スポーツが「する」対象だけでなく、「見る」対象となると、スポーツで活躍することが新たな「男らしさ」の理想像になった。さらにフィジカル・カルチャーの流行等により、自立や自己抑制など精神的側面を 重視する「マンリネス」から視覚的な逞しさなど生物的側面の「マスキュリニティ」へと「男らしさ」は変容した。
スポーツは身体の壮健な発達により退化の兆候を払拭し、健全なる精神を育む活動 とされていたが、その「健全な精神」の条件に異性愛も書き込まれ、スポーツは女性の排除に加えて異性愛に限定された、男性ホモソーシャルな領域として存続していくことになった(岡田 2022a)。
3. 国民国家と体育の関係
近代スポーツが欧米において、学校を中心に生まれたことがわかった。では、日本の体育はどうだろうか?初代文部大臣であった森有礼は、国民国家に相応しい「国民」を作る手段として学校に兵式体操を導入した。学生を国家の目的に「従順する身体」に育てるため、学校が使われた他、ラジオ体操も日本人の「連帯感」を養うために考案され た。戦争が終わるまで、達成すべき健康は個々人の価値から国家的価値へと転換された(権 2018)。
現代の体育カリキュラムには、国家単位のスポーツ競技大会での勝利への貢献と高齢化社会により、国家的に重要性を増す国民の健康維持の2つの方向性がある(菊 2014)。
スポーツと女性
1. スポーツにおける女性の排除と女性の参入
近代スポーツは「男性身体中心文化」であり、その成り立ちから女性は排除され続けていた。女性がスポーツをすると「生殖器に悪影響がある」や「容姿が悪くなる」などの言説が主張された(横山 2007)。当時のさまざまな学問を通じて「性差」が正当化され、スポーツからの排除の根拠とされたのである。例えば「近代オリンピックの父」とされるクーベルタンは「女性をオリンピックに参加させることは、非現実的で、面白みを欠き、悪趣味で、不適切だ」と述べている(清水 2022)。
スポーツが「男らしさ」の証明であることは、逆に言えば「女性がスポーツをすること」が「男性の優位性」を揺るがしうるものであり、「性差」を強調したい家父長制にとっては脅威であったのだろう。
2. 「女子選手」の境界線
徐々に「女性のスポーツする権利」が認められるようになっていくものの、今度はスポーツする権利のある「女性」の取り締まりが強化されるようになる。女性か疑われた選手などは性別確認検査を受けさせられるようになったのだ。基準を外れた選手は「女性と偽った男」などとして扱われ、誹謗中傷を受けた(岡田 2022b)。「男性」や「(異常としての)男性的な身体」を排除して「公平性」を保つこと を目的にしているというが、基準は変化し続け、その根拠も明確ではないのである。ここで注意したいのは、検査の対象とされた人の多くは有色の選手であったことである。彼女たちを皮膚の色から「女性性の欠陥」と結びつけ、「男性化」するような人種差別的な視線が背景にあるといえるだろう(山本 2021)。
3. 体育とジェンダー
女性の排除や偏見は体育においても根深い。さまざまな調査結果から「女子生徒のスポーツ嫌い」などが指摘されている。性別によるカリキュラムの違いや男女別習/修はいまだに続いていたり、授業において割り当てられる性別ごとに扱いの違いがあったりすることが多い(井谷など 2019)。また、高学年に進むほど競技性の強い授業内容へとなることが一般的だが、そのようなスポーツは「男性身体中心」の文化であり、特定の身体が有利になるよう構築されているのである(井谷 2021)。
スポーツと公平性
1. 「性差」と「公平性」
スポーツにおいては「公平性」の担保のためという名目のもと、男女わけなどがなされている。ただ、この「公平性」についてはさまざまな点から恣意性や不合理さが指摘されている。
例えば、男女わけの理由とされる「性差」の根拠として、「体力」が用いられることがある。しかし、実際は「体力」という概念自体が、「男性身体」優位に設計されていることが指摘されている。体力テストなどにおいて、筋力を中心とした動作が多数であり、柔軟性を測る項目は少ないことが多い。項目が異なれば結果が変わるかもしれないが、測定する能力に大きな偏りがあることにより、特定の身体が評価され「性差」が正当化される。このように「性差」と「体力」は共犯関係にあるといえる(岡田 2022a)。
2. 「不公平」な差異か、「才能」による差異か
スポーツにおける優位性を左右する要素は数多くあるが、「一緒に競技をしたら不公平だ」と見做される差異と、「恵まれた才能である」と見做される差異がある(岡田 2022b)。前者の例としては、「女/男」の区分け、「外国人枠」がある競技などでは人種、 障害の有無、重量ごとの階級がある競技では体重などがあるだろう。一方で、身長や筋肉量などの体の特性やその人の経済的、環境的な背景などその他さまざまな差異は才能や幸運と見做されたり、そもそも意識されなかったりする。また、特定の集団のみがある線引きに左右されることがある。例えば性別確認検査であれば、テストステロン値が「一般的な女性」より高い女子選手は「異常」とみなされて排除の対象になる一方で、男子選手の場合、そのような遺伝的・身体的なはずれ値は「才能」と して受け止められうる(岡田 2022b)。
3. 「公平性」というイデオロギー
これらの「公平性」の欺瞞はスポーツの領域だけでなく、社会全体に影響を与えうる。 例えば現在の「男子選手」「女子選手」のカテゴリー分けとそれを当たり前とみなす考え方は、「生物学的な身体」というものを本質化したり、トランスジェンダー女性や規範的な身体に当てはまらない人を「女性の敵」として描き出すことに利用される。
また、よく「黒人は身体能力が高い」ということが言われる。しかし、そもそも「人種」という概念自体が定義不可能なカテゴリーであり、境界線は恣意的に引かれる。ある競技で 特定の人間集団が優越する状況は、「人種」ではなく、別の理由と考えていいはずである。それにもかかわらず、「人種」を根拠として話す時、その人や集団の歴史の無視や偏見につながりうるだろう(川島 2012)。また、「障害者スポーツ」に関しても近代スポーツの価値観に基づいて行われることで、逆に「健常者/障害者」の差異化や序列化を強化しうるという指摘もなされている(渡 2005)。このように、スポーツにおける「公平性」の追求とそれに伴う恣意的な線引きは、限られたスポーツの領域だけの問題ではなく、社会全体に影響を及ぼし、差別や偏見、偏った社会構造を強化・再生産がされうるのである。
東大スポーツの問題を考える
具体的な問題
男子には更衣室がなかったり、重いものを運ばされたりするし、体力テストや授業では、女子より長距離走らされてる。女子がずるいのでは?
サッカーとかバスケの授業にある「女子特別ルール」がもやもやする... なんで女子だけ「ゴール決めたら3点」みたいにされるんだろう。「試合に女子が参加できるように」って説明されたけど...
背が低かったり、筋肉がつきにくかったりするからスポーツ向いていないんだよなぁ...。スポーツの才能ある人が羨ましい。
それは「スポーツ」と「男らしさ」の結びつきが原因かも!
体育やスポーツなどは「男らしさ」と強い関係があることが多いです。 そのため、「男なら身体を見せても恥ずかしくない」、「男なら長距離走れて当然」とされ、逆に「女子はスポーツできない」と捉えられがちです。
詳しく知りたい人は
「近代スポーツの成り立ち」をチェック!
それは「今のスポーツが何を前提としているか」の問題かも!
スポーツで「才能」と見做されるものと、そうではないものがあります。 例えば、「男/女」で分けて試合をするのは当たり前にされていても、身長や筋肉量で分けて試合を行うことはあまりありません。 実はこれが差別に繋がっていることも...。
詳しく知りたい人は
「スポーツと公平性」をチェック!
東大におけるスポーツを再考する②
これまでの議論を踏まえて、東大スポーツについて改めて考えたい。問題点として、健常主義・身体の多様さの軽視・性差の強調という3点が挙げられる。
まず性差の強調についてだが、一部の授業で導入される女子特別ルールは、「女性」が「男性」に比べて身体的に劣っていることを前提としている。加えて、体育の授業で選択できる種目はそもそも、柔軟性よりも筋力を重視する、「男性」にとって条件の良いものばかりである。部活やサークルに視点を移すと、「女子お断りサークル」が近年まで存在したことや女子が選手になれる 選択肢が限られている。こうした事実から分かるのは、東大におけるスポーツがいまだに「男性身体中心文化」であるということであり、「男性の優位性」や「性差」といった言説を強調しているということだ。
東京大学の体育は、身体の知識や健康習慣を身につけさせることを目標にしており、目指しているのは将来の社会を支える人材育成だろう。その意味で、エリート教育の現場で発展した初期の近代スポーツと非常に近いと思う。学生に健康習慣の必要性を説くこと、何より基礎的な身体能力が不可欠なものとすることは、健康は善であるという規範・健常主義の再生産に繋がってしまう可能性があるのではないだろうか。
最後に身体の多様性についてだが、「自分の体の動きを知ることを通じて 他人の身体にも理解を深める」という言葉からは、人の身体は同一であるという考えが伺える。西洋の男性の身体を標準とし、そこから外れるものを時にギフトではなくチートであるとみなしてしまう、現代スポーツとも地続きの問題があるだろう。
おわりに
リソース集
このトピックについて幅広く知りたい人向け
『よくわかるスポーツとジェンダー』(2018)
飯田貴子、熊安貴美江、來田享子編著 ミネルヴァ書房
「ジェンダーの視点から見るスポーツについて基礎的なことを知りたい!」という時に
『スポーツとLGBTQ+──シスジェンダー男性優位文化の周縁』(2022)
岡田桂、山口理恵子、稲葉佳奈子著 晃洋書房
スポーツにおいてLGBTQ+に関わる問題や運動について広く書かれている
オリンピックやアスリートについて知りたい人向け
対談形式で読みやすい!
『〈体育会系女子〉のポリティクス──身体・ジェンダー・セクシュアリティ』(2021)
井谷聡子著 関西大学出版部
「男らしいスポーツ」をする「女子選手」がどのように語られてきたかなどが分かる!
性別確認検査について知りたい人向け
「5章 性の境界とスポーツ」
国際的なスポーツの大会において「性」がどのように扱われているのかが分かる!
ジェンダーと体育について知りたい人向け
体育×ジェンダーの研究のこれまでについて知ることができる!
参考文献
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横山美和「19世紀後半アメリカにおける「女性」の構築と科学言説──E.クラークの女子高等教育論を中心に」『F-GENSジャーナル』第7巻、2007年、273-279頁。
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渡正「「健常者/障害者」カテゴリーを揺るがすスポーツ実践──車椅子バスケットボール選手の語りから」『スポーツ社会学研究』第13巻、2005年、39-52頁。
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a 岡田圭「男性ジェンダーとスポーツ」 岡田桂・山口理恵子・稲葉佳奈子『スポーツとLGBTQ +──シスジェンダー男性優位文化の周縁』 晃洋書房、2022年、1-19頁。
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b 岡田圭「性の境界とスポーツ──トランスジェンダー/性分化疾患/“性別“概念の変容」 岡田桂・山口理恵子・稲葉佳奈子『スポーツとLGBTQ+──シスジェンダー男性優位文化 の周縁』 晃洋書房、2022年、86-106頁。
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山本敦久「キャスター・セメンヤと大坂なおみとルッキズム──黒人女性アスリートのジェンダーとセクシュアリティ」『現代思想』第49巻13号、2021年、48-56頁。
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井谷惠子「体育科教育とジェンダー──誰を励まし、誰を諦めさせているか」『学術の動向』 第26巻7号、2021年、51-55頁。
-
井谷惠子、井谷聡子、関めぐみ、三上純「体育離れのジェンダー・ポリティクス──当事者へ のインタビュー調査から」『スポーツとジェンダー研究』第17巻、2019年、6-20頁。
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川島浩平『人種とスポーツ──黒人は本当に「早く」「強い」のか』中央公論新社、2012年。 菊幸一「体育カリキュラムの現代化と脱政治化の論理」『体育科教育学研究』第30巻2号、2014年、81-88頁。
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権学俊「近代日本における身体の国民化と規律化」『立命館産業社会論集』第53巻4号、2018年、31-49頁。
-
東京大学身体運動科学研究室『身体運動・健康科学ベーシック』東京大学出版会、2022年、2-8頁。
KOSSについて
駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)は、女性や性的マイノリティを含む多様な学生が、安心感と帰属感を持ちつつ、相互の経験と学知から学びあう場/ コミュニティの構築を目指すプロジェクトです。
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構
Diversity&Inclusion部門
駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)
Website: https://www.utkoss.org/
Twitter (X): https://twitter.com/koss_ut
発行
KOSS 2023年度ジュニアスタッフプロジェクト「D&Iから考えるスポーツと東大」
2024年4月発行
編集・発行:東京大学駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)
問い合わせ先:komabasaferspace@gmail.com
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